2020/09/06

人に見せる予定のない日記を毎日書いていて、毎日というか、数日にいっぺんまとめて書いていて、何時に何したとか何食ったとか誰に会ったとかそういう、ただ先週一週間は何者かに掠め取られたわけじゃなく確かに私が全額使ったんだなってことを確認するためだけの日記。読み返すと時間が非情に経ったということだけがわかる。悲しい。

何もしたくなくてコンビニで買った飯を食べていた。ここ一週間。
基本的に毎日毎日お弁当を持参している。弁当持参の良いところはコンビニに寄らなくてもよくなるところ。コンビニに寄らないでいるとコンビニへの耐性が下がり、新商品に疎くなる。一ヶ月くらい我慢してからコンビニに行くとただのコンビニがコンビニじゃなくなっている、見たこともない商品ばかりが売られているおもしろスポットに変わる感じがする。毎日行ってると何の感動もないが。
でも買った飯すごいべんりだな〜と思った。すごい楽〜。弁当箱洗わなくていいし……チンもしなくていいし、飯のこと考えるぶんの時間がけっこう浮く……。
なんかすごい不思議なんだけどコンビニで買った飯で生きてると、こう、人間の味わえる味覚の限界はコンビニで売られているものの範囲に収まっている、みたいな、すべての味がパッケージングされて売られているかのような感じになる。たとえば友達の実家に遊びに行ったら薄暗い台所のどこかから出てきた、サランラップの掛かった謎のおそうざい、みたいな、えたいの知れなさが存在しない、食べる前から味のすべてが見通せるものしか売られてない。すごすぎる。安心と安全の極み。食事ってもっと不安だったような気がする。コンビニで買った飯を食べるとき、いまだかつてないくらいに安心しきっている。わけのわからないものを恐る恐る食べるときの、暗闇を手探りで進もうとしてるようなハラハラ感がないままものを食べることに慣れて、どのコンビニのこれがうまいみたいな誰かの報告を素直に受け止めて、今一番食べたいのはアイスの実とうもろこし味。